#2 パレードは終わらない

『何にもなれなかった私がオタクになれた話』

私はとっても影響されやすいのに加えて思いついたら即行動するタイプだ。今までに「やってみたい!やりたい!」と思って始めたものはたくさんあっても、全部そこそこ。さらに熱しやすくて冷めやすい。こんなふうに言ってしまうといろんなことに手をつけて結局何も成功しなかったみたいに聞こえる(あながち間違ってはいないのかもしれない。笑)けど、それでも私はこの性格のおかげでいろんなことに挑戦できたし、無駄なことなんかなかったと思う。

 

シンデレラになれたのは夢の世界にいるときだけ。ピアノやサックス、トランペットはプロになれるほど実力がない。小説家や漫画家になれたのはせいぜい7ページ分くらい。作詞作曲もしてみたけど30小節が限界。写真の技術も動画編集の技術も月並み。劇の台本を作って監督みたいなものもやってみたけど仕事にはできない。アイドルや女優になれるような容姿だってない。ショーやパレードに出演できるほどのダンスの能力も歌唱力もなかった。

 

ちょっとでもなりたいなって思ったものは(今考えたらただのごっこ遊びかもしれないけれど)全部試しにやってみた。「ない、できない、無理。」ってネガティブな言葉ばかり並べてないで、どれかに絞って追究したらいいんじゃないかとちょっとだけ思うが、これまでに挑戦してきたことの全部が今の私の"大好き"に繋がってる。私の人生を彩ってくれる。それだけでも大きな収穫じゃないかって開き直ることにした。

 

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この"大好き"にHey!Say!JUMPが加わることになった話をしよう。

曖昧な記憶を脚色して作り上げた物語だと思って読んでくれたら嬉しいです。笑

 

私は「ジャニーズなんて」と思っていたタイプの人間だった。おそらく小学校の頃から自分の身近にいたジャニオタのRちゃん(今ならオタク用語で表現できる。多名義・多ステ・同担拒否!!!みたいなタイプだった。今じゃちょっとした追っかけみたいなことをしてるみたいで、さすがにもう関わってないです。)がすごく苦手なタイプの女の子でちょっと怖かったから「ジャニーズって怖い。ジャニオタって怖い。」というイメージが強かったんだと思う。

絶対私はジャニオタにはならないんだろうな〜なんて思っていたけど、Rちゃんの母と私の母が何故か仲良しだったこともあって、突然Hey!Say!JUMPのライブ(JUMPing CARnival)に同行者として行くことになった。中3の夏、高校受験に向けて勉強ばかりの毎日から少し逃げたかったのもあるし、Rちゃんの言うことに逆らうのが怖かったのもある…。

予習としてMVメイキングライブ映像などとにかく沢山のものを観せてくれたが、失礼なことにほとんど観た記憶がない。あんまり興味がなかったからだと思う。本当に失礼な人間だ、ごめんなさい。

でも人生ってほんとに何が起きるかわからないね。コンサートが始まってからはもうずっと心を掴まれっぱなしで、胸が踊って、ときめいて、ずっとドキドキしていた。9人の王子様が歌って踊っている姿、キラキラした演出や衣装に魅了された。かっこいい、かわいい、綺麗。ジャニーズのコンサートってこんなに凄いんだ。

それから毎日私はJUMPing CARのアルバムを聴いた。FCに母と2人で入った。買ってもらったばかりのスマートフォンでひたすら検索した。(過去にどんなことがあったか、メンバーの関係性とかもネットを通して知るしかなかった。)

今じゃHey!Say!JUMPのない生活なんて全く考えられない。飽きっぽい私がもう5年近くもオタクを続けている。これって凄いことだと思う。私じゃなくて飽きさせないJUMPが凄い。JUMPのおかげで、何にもなれなかった私はオタクになれた。


都合のいいように編集された記憶なので許して欲しいのだが、私がはじめてステージに立つ彼らを見た時、かつてやってみたくて挑戦したこと、それがきっかけで大好きになったもの、ぜんぶぜんぶJUMPが持ってるようにみえたんだ。キラキラしてた。私が見たことのない景色をたくさん見せてくれるかもしれないと思った。憧れの存在になった。

 

敵わない大きな存在や 叶わない夢を一つ一つ

無駄なものなんてないよ 人生を彩っていくんだ

 

今まで挑戦してみたたくさんのことを叶わない夢だったなんて決めつけないで、別の形で叶えるのもアリなんじゃないかと気づいた話はまたいつかしようかな。